(5) バッハ:ゴルドベルグ変奏曲 BWV988

ベートーベンからショパン、そしてリスト、ドビュッシー、プロコフィエフと辿ってきて、いきなりどうしてバッハなんだ、と思われるでしょう。
でも、この順番は決してイレギュラーではないのです。

良い音楽だけを演奏するピアニスト

生物学は、生き物は常に新しい道を模索するということを教えてくれます。
可能性が模索されつくし行き止まりにあるかのように見えても、その行き止まりと思えた地点から、生き物は必ず思いもよらなかった新しい道を探し出します。

ピアニストも一種の生き物である以上、その行き止まりと思えたところから新しい道を模索し、そして新しい道を探し出しました。
それが、「良い音楽」だけを選び出して演奏するピアニスト、「良い音楽」だけでプログラムを組むピアニストの登場です。

リストの項でも述べたように、ピアニストは演奏家であると同時に作曲家であり、彼らは基本的に自分が演奏するために音楽を書きました。それは、バッハ以降変わることはなく、ピアノが下手だったドビュッシーなどは例外中の例外でした。

しかし、20世紀になって、ドビュッシーのようにもプロコフィエフにのようにも、さらにはバルトーク(彼もまた一流のピアニストでした)のようにも音楽が書けないピアニストは、自作の音楽でプログラムを埋めることは不可能になっていきました。そうなると、彼らの多くは自作の音楽ではなく、過去の「良い音楽」だけでプログラムを組むようになり、演奏家としての仕事に専念する事で生き残りを図るようになったのです。
私たちが現在日常的に接している、演奏だけに特化したピアニストの登場です。
この流れは古くは19世紀のハンス・フォン・ビューローあたりにまで遡るらしいのですが、ピアノ音楽が一つの「行き当たり」にたどり着いた事によって一つの流れとして定着するようになりました。
そして、この「良い音楽」だけを演奏するピアニストの最初の大立て者がシュナーベルでした。彼は徹底的にベートーベンのスコアを研究し、そして世界で初めてソナタの全曲録音を敢行し、「ベートーベンを創作した男」と賞賛されました。

ただし、彼の根っこは19世紀にありましたから、彼自身も未だに「作曲」もするピアニストではありました。
しかし、面白いのは、彼がプログラムに選ぶ作品はベートーベンやシューベルトという古典派の「良い音楽」だけなのに、作曲した音楽はかなり前衛的(?)なものだったことです。そして、演奏家として築いた己の地位を利用すれば、そう言う自作の音楽を演奏したり録音することも可能だったにも関わらず、この批判力の強い男はそう言うことは一切しませんでした。
己の生み出した音楽には愛着もあったことでしょうが、それでもそう言う音楽は「過去の良い音楽」と較べれば、聴衆に提供するには及ばない音楽と判断したのです。

そのようなシュナーベルの立ち位置は彼に続くピアニストのスタンダードとなりました。
そういえば、グルダがアンコールで自作のアリアを求められたときに、「そんなものでいいの?」とはにかみながら演奏をはじめたシーンを見たことがあります。
シュナーベル以降のピアニストは作曲をすることはあっても、あくまでも過去の「良い音楽」を素晴らしい演奏で提供することを自らの責務としたのです。

私はバッハのやり方で演奏します。

しかし、この行き止まりの時代に、もう一人注目すべきピアニスト(と、言っていいのかどうか躊躇しますが)が登場します。
ワンダ・ランドフスカです。

Wanda Landowska

Wanda Landowska

ランドフスカの名は、長く忘れられていたチェンバロを復興したことで歴史に刻まれています。
同時に、ランドフスカモデルと呼ばれるモンスター・チェンバロを使ったことで、古楽器ムーブメントを推し進めた連中からは非難の標的にもされてきました。

しかし、彼女の最大の功績は「チェンバロの復興」というような小手先のことにあるのではなく、シュナーベルとは異なるやり方でもう一つの新たな道を指し示した事にあります。

ここで、忘れていけないのは、バッハの音楽は疑いもなく過去の「良い音楽」の仲間に入っていたのですが、それは必ずリストやブゾーニ等によって編曲された形で提供すべきものと考えられていたことです。

ピアノという楽器は10本の指で鍵盤を掴むことで豊かな和声を響かせることは得意ですが、何本もの絡み合う旋律線をくっきりと描き出していくのは苦手です。
縦に積み重ねられた和声で構築されている音楽を演奏するときにピアノという楽器は絶大な効果を発揮しますが、横へ流れるラインで音楽を構築しようとすると不都合きわまりない楽器だったのです。
ですから、19世紀から20世紀の初め頃までは、バッハは「良い音楽」であることは認められながらも、ピアノで演奏するためには音楽の構造を「横から縦」へ編曲して提供するのが当然だとされていたのです。

シュナーベルは過去の「良い音楽」を良い演奏で提供するためには楽譜を徹底的に研究して、そこに込められた作曲家の意図を尊重することが重要であることを主張しました。そして、その様にして再創造された音楽が、名人芸をひけらかすために手を加えられた音楽よりもはるかに聞き手に大きな感動を与えることを証明しました。
これと同じ方法論を、より徹底した形でバッハに適用したのがランドフスカでした。

ランドフスカと言えばよく語られるエピソードがあります。
それは、とある女性演奏家とバッハ演奏における装飾音の扱いで言い争いになったときの事です。最初は和やかに会話を交わしていたのですが、何かをきっかけとして雰囲気は剣呑になっていき、やがて別れ際に彼女はこう言い放ちました。

「分かりました。あなたはあなたのやり方でバッハを演奏しなさい。私はバッハのやり方で演奏します。」

なるほど、歴史に名を残すような人はこれくらい「傲慢」でないといかんのでしょうね。

弦を引っ掻くことで発音するチェンバロは響きがすぐに減衰するので、縦に積み重なる和声を豊かに響かせるのは不向きですが、横へつながる旋律線を描き出すのは得意中の得意です。
彼女は「横から縦」に構造変換された編曲版のバッハを拒否するだけでなく、本来の横へ流れるバッハを演奏するのにピアノが不適当だと判断すれば、なんとピアノそのものを捨てることも辞さなかったのです。

(Cembalo)ワンダ・ランドフスカ 1933年11月18日~20日録音

シュナーベルはベートーベンを創作したと言われるのですが、その言い方を借りるならば、疑いもなくランドフスカは何本もの旋律線が絡み合うようにして構成されるバッハの対位法を再創造しました。
実際、この時代に、彼女ほど見事にバッハの絡み合う横の線を弾き分けることのできるピアニスト(チェンバリスト)はいませんでした。

このランドフスカの影響は絶大でした。
このバッハを聴かされた後に、再びリストやブゾーニの編曲でバッハを演奏することに意味を見いだせるピアニストはいませんでした。さらに、編曲されていないバージョンでバッハを演奏しようと思っても、彼女のチェンバロと同じくらい上手にピアノで演奏できるピアニストもいなかったのです。
ショーンバーグは、バッハをピアノで演奏することは、たとえバッハの楽譜通り正確に演奏しても、それはある意味で編曲にすぎなくなったと述べています。

結果として、彼女以降、バッハとそれ以前の鍵盤楽器の音楽は「ピアノで演奏すべきでない」と思われるようになりました。そして、多くのチェンバリストが登場するようにもなり、バッハとそれ以前の音楽家、例えばスカルラッティなどにも光が当たるようになったのです。
そして、聞き手にとっては、ドビュッシーやプロコフィエフによって行き止まりになったと思われていたピアノ音楽の向こうに、再び「新しい音楽」が登場したように聞こえたのでした。

このランドフスカが撒いた種は第2次大戦で一時中断されるのですが、戦後しばらくしてバロック音楽が大きなブームになるのは、この流れをふまえてみれば当然だった事に気づきます。
人は過去の「良い音楽」だけでなく、常に「新しくて良い音楽」も必要とするのです。
そして、長生きしたランドフスカは、その様な戦後のバロック音楽のブームを見届けてこの世を去ることになります。彼女は演奏の第一線を退いても、亡くなる直前まで熱心に個人レッスンを続けて多くの後進を育てました。

ピアノの逆襲

ランドフスカやシュナーベルが蒔いた「原典尊重」という立ち位置は、その後のクラシック音楽の世界を席巻しました。そして、この原典を尊重するという立場は、やがて一字一句変更することも許さない「神聖化」の領域にまで達し、その果てには、作曲された当時の楽器と演奏様式を採用すべきだという「古楽器ムーブメント」にまで行き着くことになります。

Glenn Gould

Glenn Gould

おそらく、今日の「原典尊重」を通り越した「原典神聖化」の状況を見れば、ご先祖に当たるシュナーベルやランドフスカは異議を唱えるだろうと思います。シュナーベルやランドフスカは原典を研究して尊重はしましたが、己の表現のためにそれに絡め取られることはありませんでした。
今日の「原典尊重」という呪文は、往々にして表現すべき内実を持たない空疎な演奏家の隠れ蓑になっています。

そして、そんな空疎なピアニストだけになってしまっていればクラシック音楽の世界は終焉を迎えていたのでしょうが、やはりここでも新しい道を切り開く人が登場します。
それが、カナダのピアニスト、グレン・グールドです。

彼の最大の功績は、ピアノを使ってもチェンバロに負けないほどに見事にバッハの対位法を表現できることを証明してみせたことです。

(P)グレン・グールド 1955年録音

ピアノでこのように演奏できることを示したのはグールドが初めてでした。ただし、歴史を辿ればこの言い方は正確さにいささか欠けます。
実は、グールドの前にピアノを使ってでもバッハの対位法が表現できることを主張し、実践し続けたピアニストがいました。
ロザリン・テューレックです。

Rosalyn Tureck

Rosalyn Tureck

現在ではグールドの先駆者として光が当たるピアニストですが、残念ながら彼女が孤軍奮闘している時は、「ピアノで演奏」しているがために胡散臭い目で見続けられました。
それほどまでに、ランドフスカの影響は大きかったのです。
チェンバロを使って、ランドフスカのように演奏することこそがバッハのやり方だったのです。

しかし、グールドの奇蹟のような指は、バッハの何本も絡み合ったラインをくっきり浮かび出すだけでなく、そのラインの軽重を巧みに弾きわける事で、誰も聞いたことがなかったバッハの姿を示して見せました。
それはランドフスカが「新しい音楽」を提示したのと同じように、ランドフスカとは異なるやり方で「新しい音楽」を提示して見せたのです。
そして、そのあまりにも鮮やかなバッハ像によって、ランドフスカの呪縛は一瞬にして解けました。

確かに、バックハウスやケンプやゼルキンも優れたピアニストでした。しかし、彼らは何処まで行っても過去の「良い音楽」を演奏し続けるピアニストであり、シュナーベルの継承者の位置から外れることはなかったのです。
しかし、グールドは疑いもなく、今まで誰も聞いたことのなかった音楽を提示したのです。

おそらく、ランドフスカやグールドの録音が持っていた革命的な意義を、今の時点から同時代性をもって実感するのは難しいでしょう。
それは、ベートーベンやショパンの音楽が持っていた革命的な意義を実感するのが難しいのと同じ事です。

しかし、クラシック音楽のように長い時間の経過のなかで様々なチャレンジが試みられてきた世界では、今そこに鳴り響いている音楽を聞くだけでなく、その音楽を包括している時の流れのなかに位置づける事で初めて見えてくることがたくさんあります。
できれば、そう言うことを「つまらぬ蘊蓄」と切って捨てるのではなく、ほんの少しでもいいので心の片隅に留めておいもえれば、この無愛想な友人とつきあっていく上できっと大きな役割を果たしてくれると信じています。

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3 comments

  • 題名のない子守唄

    バッハのゴルトベルク変奏曲を選んでもらったのは嬉しいです。
    オルガン版、木管四重奏版、アコーディオン版、弦楽三重奏版、弦楽合奏+ピアノ版、ギター版、サックス版など色々聴いていますが、どれも面白いんですよね。

  • nakamoto

    上記のお二人のやり取りの内容のレヴェルが、あまりに高いので、コメントすべきか、迷ってしまいますが。 私は、文句なく、理屈抜きにグールドのバッハが好きです。でも、グールドで聴くのは、バッハとモーツァルトと新ヴィーン楽派のみです。理由は、自分でも分かりません。 また、チェンバロという楽器も少々苦手で、でもピリオド演奏として、原典尊重主義として、割り切って、良く聴いています。ピリオド全盛の世ですし、確かに良さは認めなくてはいけませんが。モダン楽器という、人類が築き上げた、完成度の高い楽器は、もっと尊重されるべきではないでしょうか??グールド゙を聴いていると、何でもかんでも、ピリオドが優越しているとは、私には思えません。

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