(7) コレッリ:合奏協奏曲 作品6(全12曲)

完成した形でこの世に生まれてきた楽器

弦を張って、それを弓で擦ることで音を出す楽器のことを「擦弦楽器」と言います。西洋クラシック音楽における「擦弦楽器」と言えば、それはほぼヴァイオリン属の楽器とイコールです。オーケストラの一番下の音域を受け持つコントラバスはヴァイオリン属ではなくヴィオール属なので、ほぼ唯一の例外といえるくらいです。
コントラバスというのは見た目はチェロをさらに大型化しただけのようなのですが、よく見てみると肩がなで肩で、さらには裏板が平らというヴィオール属の特徴を残しています。そして何よりも調弦の仕方が4度だと言うことが最大の違いです。
弦の数は一般的にヴァイオリン属と同じ4本のものが主流となってきているのですが(昔は5~6本だったようです)、第1弦=G線、第2弦=D線、第3弦=A線、第4弦=E線と呼ばれるように4度間隔で調弦されます。
言うまでもないことですが、ヴァイオリンやチェロなどのヴァイオリン属は一般的に、第1弦=E線、第2弦=A線、第3弦=D線、第4弦=G線となっていて、5度間隔で調弦されます。ですから、この2種類の楽器が室内楽などで一緒になるといささか響きに違和感が出てしまいます。シューベルトのピアノ五重奏曲「鱒」などはその数少ない例外ですが、やはりコントラバスが入ってくると「うまくないな・・・」という感が否めません。

そんなヴァイオリン属なのですが、ピアノとは違ってその出自が今ひとつはっきりしません。16世紀のある時、ある場所で、突然、今のヴァイオリンとほとんど変わらない姿で登場するのです。
現存する最も古いヴァイオリンは、アンドレア・アマティによって1565年頃作成されたと言われています。
メディチ家からフランス王室に嫁ぎ、絶大な権力をふるったことで知られるカトリーヌ・ド・メディシスからアンドレア・アマティ(アマティ家の初代)に対してヴァイオリン24挺、ヴィオラ6挺、チェロ8挺の注文があったことが記録に残っています。その大部分は散逸してしまったもののそのうちの数挺が現存していて、その中でも最も古いと思われるものがメトロポリタン美術館に収蔵されています。

現存する最古のヴァイオリン “King Charles IX of France”
Andrea_Amati_violin

生まれたばかりのピアノフォルテと現在のコンサートグラウンドを較べてみれば、鍵盤を押せば音が出ると言う構造くらいは共通ですが、それはもう全く別物と言っていいほどです。
しかし、ヴァイオリンの場合は生まれたときからすでに完成形でした。現在のヴァイオリンと較べてみてもその姿形や内部の構造も、そして何よりもその楽器が生み出す響きは何も変わっていないのです。いや、変わっていないどころか、この現存する最古のヴァイオリンを作成したアマティ一族の最後を飾ったニコロ・アマティ、その弟子であったストラディヴァリやガルネリ(通称デル・ジェス)が生み出したヴァイオリンを凌駕するものは未だに現れていないのです。

演奏法の基本も早い時期に確立

楽器そのものが早い時期に完成形に達していたと言うことは、演奏する側からすればその演奏法も早い時代に確立されたことを意味します。言葉をかえれば、楽器の進化によって新しい可能性が次々と登場してきたピアノのような厄介さから解放されていたのです。
ピアノの項で述べたように、モーツァルトはわずか5オクターブの音域でピアノ音楽をイメージしました。その事が、8オクターブ近い音域をフルに活用できたロマン派以降の人にとっては、モーツァルトのピアノ音楽は子ども向けの愛らしい音楽という誤解を生んでしまいました。

しかし、ヴァイオリンならば、17世紀に活躍したコレッリも、19世紀に活躍したパガニーニも、さらには20世紀のハイフェッツであっても、その使っているヴァイオリンに本質的な差はないのです。

イタリアのクレモナでストラディヴァリウスがヴァイオリンを製作していた時代に、コレッリはそのヴァイオリンを使って作曲し演奏も行っていました。
19世紀にヴァイオリン音楽に革命をもたらしたパガニーニはストラディヴァリウスと同じ時代にクレモナで活躍したガルネリのヴァイオリンを愛用していました。
そして、ハイフェッツは3大ストラディヴァリウスの1つと呼ばれている「ドルフィン」を愛用していました。
ちなみに、この「ドルフィン」は現在は日本財団が所有していて、諏訪内晶子に貸与されています。

ストラディヴァリウス “ドルフィン”

stradivarius_dolphin

このヴァイオリンの演奏法を確立しまとめたのがアルカンジェロ・コレッリでした。特に、作品番号5を与えられている「ヴァイオリン・ソナタ集(全12曲)」はヴァイオリンの教則本として長く使われ続けてきました。

しかし、コレッリの最大の功績は、この新しい楽器が独奏楽器として活躍できる能力を持っていることを創作と演奏の両面で実証してみせたことです。
実は、生まれたばかりのヴァイオリンは当時の人の耳には刺激的に響いたようです。当時の楽器の主流はリュートやヴィオラ・ダ・ガンバに代表されるヴィオール属であり、その響きは小さくても柔らかであり、繊細にして優雅でした。ですから、ヴァイオリン属は耳障りな楽器として舞踏音楽の伴奏を行うような一段低い楽器と見なされていたのです。

しかし、やがてヴァイオリンはヴィオール属の楽器では不可能な名人芸を披露する能力があることを証明する演奏家が現れてきます。
そして、その様な名人芸を披露するのに相応しい形式の音楽が作られ、それを実際の演奏によって証明してみせる音楽家が現れるのです。
それがコレッリだったのです。

独奏楽器としての地位を確立

コレッリは教則本的なレベルをこえて、さらに華やか演奏効果を持った音楽を作りたいと言うことで「合奏協奏曲」と呼ばれる形式を仕上げました。言うまでもなく、このような音楽形式は彼一人の力によって生み出されたものではなく、先行する試みがいくつもあったことは言うまでもありません。
コレッリの功績はその様な先行する試みを踏み台として、それを一つの完成形として仕上げた事にあります。さらに、その優れた演奏技術によって誰の耳にも分かるように示して見せたことです。

「合奏協奏曲」とは、独奏楽器群(コンチェルティーノ)とオーケストラの総奏(リピエーノ)に分かれ、2群が交代しながら演奏する音楽形式です。

コレッリの「合奏協奏曲」は弦楽アンサンブルで演奏されます。
独奏部分を受け持つ「コンチェルティーノ」は2本のヴァイオリンと1本のチェロによって構成されるるのが基本です。

つまり、コレッリによってヴァイオリン属はついに独奏楽器としての地位を確立したのです。

この形式はヘンデルによってさらに拡大され、「リピエーノ」に管楽器が導入されることでより華やかさを増していきます。
比べてみれば、弦楽器だけで演奏されるコレッリの作品にはヘンデルやバッハのような華やかさにはかけますが、弦楽器特有の横へ流れていく旋律線の美しさは群を抜いています。
それは、12曲の合奏協奏曲の中でもっとも有名な第8番「クリスマス協奏曲」だけの特徴ではありません。弦楽器アンサンブルが作り出す優美で、時にはメランコリックな旋律線の美しさは全12曲にあふれています。

この時をもって、ヴァイオリンは「楽器の女王」としての道を進み始めることになるのです。
そして、ヴィヴァルディによってこの形式はさらに進化させられ、一人の独奏楽器の奏者がオーケストラの総奏と対峙する「独奏協奏曲」という形式に発展していくことで、ヴァイオリンは「楽器の女王」としての地位を不動のものにしていくのですが、それは次回の話になります。

ソチエタ・コレルリ合奏団 1952年録音

コレッリやヴィヴァルディなどのバロック音楽を広く世に知らしめたのはイ・ムジチ合奏団でした。彼らが1958年から1959年にかけて録音したヴィヴァルディの「四季」はクラシック音楽の世界では異例とも言うべきミリオン・セラーとなりました。
彼らの演奏の特徴は分厚くて豊満な弦楽器の美しさを存分に生かした、艶やかで、官能性をたたえた歌いまわしの素晴らしさにあります。

しかしながら、ここで紹介しているソチエタ・コレルリ合奏団は、そのような演奏とは真逆の位置にあります。
彼らはイ・ムジチ合奏団よりも早い1951年に結成され、その活動はわずか10年ほどで終了してしまいます。

彼らの演奏には聞き手に媚びる甘さは何処を探しても存在しません。
あるのは、スコアだけを頼りに、作品が持つ本質に真摯に迫ろうとする気迫だけです。

しかし、残念なことに、この厳しさは多くの聞き手から好意を持って受け入れられることはなかったようです。この時代の聞き手が音楽に求めたのはイ・ムジチの「甘さ」であり、その様な「甘さ」に背を向けた彼らは10年で活動を終えざるを得なかったのです。
そして、バロック音楽からそう言う甘さを払拭するためにはピリオド楽器によるムーブメントを待つしかなかったのですが、それもまた後の話となります。

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