(9)バッハ:無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004

時代遅れの男

音楽史の中にバッハをおいてみれば、彼はとんでもなく時代遅れの人でした。
ヴィヴァルディの協奏曲に代表されるように、時代は明らかにポリフォニーな音楽からホモフォニーな音楽へと移り変わりつつありました。
そして、バッハもまたその影響を受けて、幾つかののホモフォニー的な協奏曲を書きましたが、それでも最後の最後まで基本はポリフォニーな人でした。
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今日バッハのヴァイオリンのための協奏曲は3曲しか残されていませんが、その様式は明らかにヴィヴァルディの強い影響を受けています。
ただし、ある意味では「書きっぱなし」のヴィヴァルディとは異なり、引き締まってどこか厳粛な雰囲気が漂う音楽になっているところがさすがにバッハです。

さらに、自作やヴィヴァルディのヴァイオリン協奏曲をチェンバロ用に編曲した協奏曲を聞くと、その編曲の精緻さには驚かされます。
音を長く伸ばすことが出来ないチェンバロの弱点をカバーするために長い音符は細分化され、結果としてソロパートの織り目はより細かく緻密な姿に生まれ変わっています。

また、ヴァイオリンのソロパートはチェンバロの右手にゆだね、空いた左手は低声部を補強するのですが、そうやって補強された低声部はソロパートである右手に対しての単なるの伴奏ではなくて、ポリフォニックに動くのが実にバッハ的です。このあたりは、もうバッハの本能と言うしかないようで、ヴァイオリン協奏曲でも弦楽合奏は伴奏に徹しきれず至る所でポリフォニックに動こうとします。

そのためでしょうか、ソロヴァイオリンに対して弦楽合奏が伴奏に徹しているように聞こえる「二台のヴァイオリンのための協奏曲(BWV1042)」だけは、バッハが忘れ去られていく18世紀から19世紀にかけても「時代遅れ」になることがなく(?)、演奏される機会が多かったことが伝えられています。話が元に戻りますが、それほどまでに時代はポリフォニーからホモフォニーへと移り変わり、その流れの中に置いてみればバッハはとんでもなく時代遅れな男だったのです。

しかしながら、よく言われるように、バッハは小川でなく大海でした。
この時代遅れの男は新しい試みを生み出すことはなかったのですが、過去の様々な音楽上の試みを己の中に取り入れて、それを誰もが想像もしなかったほどの完成度にまで高めて、次の時代へと引き継いだのです。協奏曲という新しい音楽の形式もまた、バッハを一つの結節点として古典派以降の近代的な協奏曲形式へと広がっていったことは間違いありません。
ヴェネチアで生まれた協奏曲という形式がアルプスの北の禁欲的なプロテスタントの地で素晴らしい後継者を見いだした事は幸せなことでした。

ポリフォニーとホモフォニー

しかし、何度も繰り返しますが、彼の本能はポリフォニッーでした。
ここで、ポリフォニックな音楽とは何かと言うことを説明するのは荷が重すぎるのですが、それでもその概要くらいは知識として頭に入っていないとバッハの音楽の本質は見えてこないので、私が理解している範囲で簡潔に述べておきます。

現在の私たちが普通に耳にする音楽はホモフォニックな音楽です。
カラオケに行けば機械から伴奏が流れ出し、それにあせてマイクを握って歌うのですが、この形がホモフォニックな音楽の基本形です。つまりは、ホモフォニックな音楽では主旋律を歌うパートとそれを支える伴奏にわかれるのです。

そして、規模も大きく複雑さを増したオーケストラ音楽であっても基本は同じであり、主旋律を演奏するパートと、それを下や(低声部)真ん中(内声部)で支えるパートに分かれているという基本の形は全く同じです。主旋律がスターであり、伴奏はその他大勢です。

それに対して、ポリフォニックな音楽では、全ての声部が平等です。
主役である「歌」と伴奏である「その他」には別れていません。

この最も簡単な形が「カエルの歌」や「静かな湖畔」に代表される「輪唱」形式です。

これを3グループくらいに分けて歌うというのは小学生でも可能ですが、その3声が重なった部分をホモフォニックに見てみるととんでもなく複雑なことになっています。しかし、見かけはとんでもなく複雑な事にあっているのですが、歌っている方はみんな同じ旋律を少しずつずらして歌っているだけです。
そして、この3グループの間に何の上下関係もなく全てが平等です。

これをもう少し複雑にすると「カノン」になります。
カノンといえば「パッヘルベルのカノン」が有名ですが、例えばロマン派の音楽でもフランクのあの有名なヴァイオリンソナタの終楽章なんかは典型的なカノンになっています。もちろん、「静かな湖畔」みたいに同じメロディをひたすら追いかけていくというような単純なものではありませんが、それも聞けばすぐに納得できるようにピアノをヴァイオリンが追いかけているのが分かるはずです。当然の事ながら、このピアノパートとヴァイオリンのパートの間には主従の関係はなく、二つが対等な関係で音楽を紡いでいきます。

フランク:ヴァイオリンソナタ イ長調より「第4楽章」
(Vn)ジョコンダ・デ・ヴィート(P)ティート・アプレア 1955年7月18,21~23日録音

そして、バッハがその持てる力を全てつぎ込んだのが「フーガ」でした。
フーガの説明はいささか私の手には余るのですが、ザックリと言えば、カノンのような単純な追いかっけっこからさらに一歩進んで、いくつもの声部が絡み合うことで音による大伽藍が築き上げていく形式だといえます。その典型が、晩年のバッハがその持てる力の全てをつぎ込んで作曲をしたのが「フーガの技法」に見ることが出来ます。
その中で最も単純な第1曲は4声からなるフーガです。

バッハ:フーガの技法 ニ短調 BWV1080より「第1曲」
(Org)グールド 1962年1月31日、2月1,2,4,&21日録音

最初に単音で提示された4小節からなる主題が少しずつ形を変えて積み重ねられていく様子がグールドの精緻な演奏によって手に取るように分かるかと思います。

そして、これが大切なことだと思うのですが、鳴り響いている音楽はとても複雑なように思えるのですが、しかし旋律としてみれば、何処まで行っても最初に提示されたあの4小節のメロディが常に鳴り響いているのです。その意味では、やっていることは途轍もなく複雑なのですが、聞き手にとっては実に分かりやすい音楽なのです。

ホモフォニックな音楽というのは今では耳に馴染みがあるので聞きやすいように思えます。
確かに、5分程度で終わる小品ならば何の問題もありません。「Aメロ」と「Bメロ」と「サビ」くらいを記憶しておけば全体を把握するのはそれほど難しくありません。

しかし、交響曲のように30分を超えるような音楽になってくると、単純に「Aメロ」「Bメロ」「サビ」を並べるだけでは間が持ちません。
そこで、その長い時間を持たせるためには、第1主題と第2主題を用意して、それをあれこれ展開させ、さらにそれでも不足とあれば第3主題も用意し、最後に第1主題を帰ってこさせる・・・みたいな複雑な構造(ソナタ形式ですね^^v)が必要になってきます。

それでも、そう言う音楽をぼんやり聞いていると、今何をやっているのか分からなくなって迷子になってしまうことはよくあります。つまりは、規模の大きなホモフォニックな音楽は聞き手に対して一定の訓練を要求するのです。そして、そう言う訓練が為されていない聞き手にとっては、そう言う規模の大きな交響曲のような代物は、ひたすら退屈な音楽になってしまう恐れがあるのです。

しかし、バッハのフーガはどれほど複雑であっても、今何をやっているのかが分からなくなることは絶対にありません。何しろ、見かけはどれほど複雑で壮大なものになっても、そこで流れている旋律のラインは忘れようもないほどに耳に刻み込まれているからです。

バッハが相手にした聴衆は、毎週教会にやってくるごく普通の市民でした。そう言うごく普通の市民を相手に神の偉大さを讃えるのが彼の仕事でしたから、今何をやっているのか分からなくなってしまうような音楽では困るのです。
しかし、逆に言えば、彼らは嫌でも毎週教会にやってくるのですから、聞き手のご機嫌を伺う必要もありませんでした。必要なのは、ご機嫌を伺うことではなくて神の偉大さの表現だったのです。

その事を思えば、まさにポリフォニーな音楽は、そう言う役割を果たすには最も相応しい形式だったのです。

シャコンヌとパッサカリア

そして、そんなバッハの時代にあってもすでに時代遅れだと思われていた音楽形式が「シャコンヌ」でした。これとよく似た形式で「パッサカリア」と呼ばれるものがあります。
この二つは最初の頃は明確に区別されていたようですが、バッハの時代になるとその区別は曖昧になっていました。低声部で同じ音型を繰り返しながら、その上で自由に歌っていくというスタイルと言うことで、それほど厳密に区別はされなくなっていたようです。

「パッサカリア」も「シャコンヌ」も、ともにスペインの植民地だった新大陸において、召使いや奴隷という最下層の人々のなかから生まれた音楽形式だと言われています。毎日の苦しい生活の中で、音楽に合わせて歌い、踊ることは彼らにとっての数少ない楽しみの一つでした。そして、日々の苦しい生活に追われる彼らにとって必要だったのは、簡単に多様な音楽を作り出すことが出来て演奏も容易な形式でした。
「パッサカリア」や「シャコンヌ」という形式は、そう言う民衆にとってピッタリの形式だったのです。

今さら言うまでもないことですが、音楽にとって低声部の進行はきわめて重要です。
18世紀に入ってハイドンやモーツァルトの時代になると、作曲家は演奏してほしい音を全て楽譜に書き込むようになりますが、それ以前は低声部の音と和声進行を示唆する数字だけが書き込まれているのが一般的でした。演奏者はその指示に従ってその時々の判断で和声を演奏するので音楽の形は少しずつ変わるのですが、それでも低声部の支配力によって基本的な形は維持されるのです。

「シャコンヌ」はその低声部に4つ、もしくは8つの和音を割り当てそれをひたすら繰り返し、その同じパターンを土台として上辺で即興的にメロディをつけていく形式です。当然の事ながら、低声部の和声進行が変わらないのですから、それを土台にして色々なメロディを展開していくのはそれほど難しい事ではありません。さらに言えば、かなり冒険的、かつ実験的な即興を当てはめたとしても、音楽全体に対する低声部の支配力は圧倒的に強いのでそれほどおかしな事にはなりません。
この形式が17世紀にはいるとヨーロッパに輸入され、踊りと音楽と性が結びついて爆発的に流行するようになり、お堅い連中は「悪魔が地上にもたらした音楽」として眉をひそめるほどの事態になるのです。

しかし、流行は必ず廃れます。
民衆の熱狂が鎮まり50年も経過すると今度は音楽の専門家がこの形式の有効性を認め磨きがかけられていきます。
そして、そう言う専門家の手にかかれば、繰り返される低声部のクオリティが音楽全体のクオリティを左右することは自明であり、やがて、最も有効な形として1音ずつ下がっていくパターン(例えば、ソ – ファ – ミ♭ – レ)が「シャコンヌ」と結びつくようになりました。やがて、この形式はかつての「みだらな音楽」」という悪評は消え去り、宮廷でのダンスや宗教音楽の中でも使われるようになっていくのです。

そして、そこからさらに50年近くが経過すると、この形式は時代遅れの古い音楽形式と見なされるようになっていくのですが、そこで登場したのがバッハの「無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調 BWV1004」の第5楽章でした。
今では「シャコンヌ」と言えば、音楽の形式を表す言葉ではなくてこの作品の最終楽章を表す言葉になってしまっています。

バッハという人は音楽に対して何か新しいものを付け加えた人ではありませんでした。いや、もっと強く言えば、彼は何一つ新しいものを付け加えるようなことはしませんでした。
しかし、彼以前に試みられたありとあらゆるチャレンジを全て己の中に取り込んで、そのチャレンジを誰もが考えてみなかったような高みへと昇華させた人でした。かつては淫らな民衆音楽と思われ、さらには17世紀の後半においてはすでに時代遅れと見なされていたこの音楽形式を使って、おそらくは、最初の妻だったマリア・バルハラ・バッハへの追悼の気持ちを込めてヴァイオリン音楽史上最高の傑作を書いたのです。

冒頭の4小節からなるテーマををもとに、全体で64の変奏が展開される音楽です。
上辺の変奏がどれほど原型から遠く離れ、見方によっては全く原形を留めていないように見えても、低声部で執拗に鳴り響く冒頭のテーマは音楽全体を支配します。そして、演奏者にとって怖いのは、その上辺の展開に目を奪われて低声部で執拗に鳴り響く音型への注意が散漫になると音楽が台無しになってしまうことです。
聞いてみれば分かるように、この執拗に繰り返される音型を明確に聞き分けることが出来る聞き手はほとんどいないはずです。何故ならば、その音型はきわめて不鮮明であり、時には姿を消してしまうこともあるからです。

しかし、たとえ姿を消してしまったとしても、それが執拗にくりくり返されている場合は、まるでそこに同じ音型が引き続き鳴り響いているかのような錯覚を聞き手に与えます。ですから、演奏家はその鳴っていない音型を常に意識しながら上辺の旋律を演奏しなければいけないのであって、そして、その事が上手くいけば、基本は1本の旋律しか演奏できないはずのヴァイオリンを使ってオーケストラにも匹敵するほどの世界を描くことが出来るのです。
それ故に、この作品はヴァイオリン1挺で宇宙をえがいたと称されるのですが、それは決して過ぎたる褒め言葉ではないのです。

そして、これこそがバッハの凄さだと思うのですが、その様な難しいことは一切意識しなくても、演奏家が適切に演奏さえしてくれば音楽の素晴らしさが聞き手にストレートに伝わると言うことです。この低声部で執拗に鳴り続ける音型を聞き手がトレースできなくても(ほとんどの人が出来ないのですが・・・)、演奏が適切であれば、そこに一つの宇宙を感じとることが出来るのです。
それ故に、ヴァイオリニストにとって、これほどまでに怖い作品はないのです。

(Vn.)ユーディ・メニューイン 1934年5月23日録音

功成り名を遂げたヴァイオリニストならば誰もが一度はこの作品を録音しています。最近は功成らずともそれなりに名が売れればその時点で録音してしまう豪の人もいます。
名演・名録音に事欠かないこの作品を紹介するのに、なにも戦前のSP盤を持ってくる事もないでしょうし、何よりもこの時メニューインはわずか18歳です。言葉をかえれば、わずか18歳の若造の音楽を雑音まみれの録音で提供するのですから正気の沙汰ではないのです。

しかし、それでも、数多くの名演に恵まれた作品であるが故にこの録音をこの場では紹介したいと思います。
何故ならば、聞く人の心の奥に届く名演ならば不足しないのですが、このような面白い演奏は他には思い当たらないからです。

疑いもなくメニューインは早熟の天才でした。そして、その才能に彼は一片の疑いも持っていませんでした。幸いなことに、彼のもてる才能とそれに対する自信は見事なまでに釣り合っていました。過信もなければ不必要な謙遜もなく、ひたすら己の信じるバッハを何の疑いも衒いもなく演奏しきっています。

この録音を聞いていて、私の脳裏に浮かんだのがヨー・ヨー・マが20代で録音した無伴奏チェロ組曲の演奏でした。
ロストロが「私にはまだ早すぎる」などと言い、他の大物チェリストも眉間にしわを寄せてうんうんと呻りながら録音していたものを、彼は何の疑問も衒いもなく軽々とチェロの聖典を弾ききりました。そのあまりの軽さと伸びやかさに多くの人が驚き、「こんなに軽々と演奏されたのではたまったものではない」と正直に言った評論家もいたほどです。

そして、世の評論家の多くは「精神的深みに欠ける」という常套句でその録音を切って捨てました。

しかし、偉い先生たちに切って捨てられようと個人的には一番好きな録音でしたし、今もその思いは変わりません。
それに何と言っても録音が良かったです。あれほどチェロの伸びやかな響きをすくい取った録音はそうあるものではありません。

しかし、そう言うヨー・ヨーマの演奏以上にこのメニューインの演奏はエキサイティングでした。
ヨー・ヨー・マはなんだかんだと言っても秀才です。確かに、己の才能を信じきる事のできる若さゆえの演奏ですが、基本的に音楽が上品です。
それと比べれば、このメニューインの演奏はまさにやんちゃ坊主そのものです。欠点をあげつらえばいくらでも数え上げることができるでしょうが、そう言う雑な部分までもが見事に魅力に転化しています。

そして、そう言う嘘みたいな事が現実になったのはメニューインを持ってしてもこの時代の録音のみであり、その事は同時にバッハの音楽が持っている途轍もなく大きな許容力に気づかされる演奏でもあります。

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